Generale

デーベリッツ航空兵大隊(Fliegergruppe Döberitz)を基に拡張されていったドイツ空軍戦闘隊にて部隊長職を務めた将校の内、第二次世界大戦中に将官として軍籍にあった人物は30名を数える。
ここでは、姓名と進級、戦闘隊での補職を記載するに留め、その他の経歴や人物像には触れない。尚、戦後の空軍(Bundesluftwaffe)等で将官となった人物についても解説は行なわない。

Generalfeldmarschall

Robert Ritter von Greim (ロベルト リッター フォン グライム)
1892年6月22日、バイエルン王国オーベルフランケン県バイロイト(Bayreuth, Bez.Oberfranken/ Königreich Bayern)にて出生。
進級:34年4月1日少佐、35年3月1日空軍航空兵少佐、35年9月1日空軍航空兵中佐、36年4月20日空軍航空兵大佐、38年2月1日空軍航空兵少将、40年1月1日空軍航空兵中将、40年7月19日空軍航空兵大将、43年2月16日空軍航空兵上級大将、45年4月25日空軍元帥。
45年5月24日、オーストリアはザルツブルク(Salzburg)の米軍捕虜収容所内にて自殺。
第一次大戦後初の戦闘機部隊として34年4月1日に編成されたデーベリッツ航空兵大隊にて初代大隊長を務めた後、航空省にて戦闘航空兵兵監を歴任。

Generaloberst

Bruno Loerzer (ブルーノ レールツァー)
1891年1月22日、プロイセン王国ベルリン(Berlin/ Königreich Preußen)にて出生。
進級:35年4月1日空軍航空兵大佐、38年4月1日空軍航空兵少将、40年1月1日空軍航空兵中将、40年7月19日空軍航空兵大将、43年2月16日空軍航空兵上級大将。45年4月29日予備役編入。
NSFK では、44年4月20日 NSFK-大将(NSFK-Obergruppenführer)へ任官。
60年8月22日、ハンブルク(Hamburg)にて死去。
ベルンブルク航空兵大隊(Fliegergruppe Bernburg - 在任中に I./ J.G.232 へ改編)にて36年4月1日より初代大隊長を、次いで37年3月1日から J.G.334 の初代航空団長を務める。その後、航空省にて戦闘航空兵兵監を歴任。

General der Flieger

Josef Kammhuber (ヨーゼフ カムフーバー)
1896年8月19日、バイエルン王国オーベルバイエルン県ブルクキルヒェン(Burgkirchen, Bez.Oberbayern/ Königreich Bayern)にて出生。
進級:33年9月1日大尉、34年10月1日少佐、35年3月1日空軍航空兵少佐、36年10月1日空軍航空兵中佐、39年1月1日空軍航空兵大佐、40年10月17日空軍航空兵少将、41年10月1日空軍航空兵中将、43年1月1日空軍航空兵大将。
86年1月25日、バイエルン州ミュンヒェン(München/ Bayern)にて死去。
ドルトムント航空兵大隊(Fliegergruppe Dortmund - 在任中に I./ J.G.134 へ改編)にて36年4月1日から37年2月28日まで初代大隊長を務める。

Generalleutnant

Kurt-Bertram von Döring (クルト=ベルトラム フォン デーリング)
1889年2月18日、プロイセン王国ポンメルン州シュテッティン県リッベカルト(Ribbekardt, Bez.Stettin, Prov.Pommern/ Königreich Preußen)にて出生。
進級:34年6月1日少佐、35年3月1日空軍航空兵少佐、36年1月1日空軍航空兵中佐、38年4月1日空軍航空兵大佐、40年7月19日空軍航空兵少将、41年11月1日空軍航空兵中将。
60年9月9日、ニーダーザクセン州クロスター メディンゲン(Kloster Medingen/ Niedersachsen)にて死去。
35年4月1日にグライムの後任としてデーベリッツ航空兵大隊長を務め、次いで36年4月1日よりドルトムント航空兵戦隊(Fliegergeschwader Dortmund - 在任中に J.G.134〜J.G.142〜Z.G.142〜Z.G.26 へ改編)の戦隊長職を拝命。その後、第2戦闘航空兵指導官(Jagdfliegerführer 2)を歴任。

Theodor Osterkamp (テーオドーア オースターカンプ)
1892年4月15日、プロイセン王国ラインラント州アーヒェン県デューレン(Düren, Bez.Aachen, Prov.Rheinland/ Königreich Preußen)にて出生。
進級:33年8月1日大尉、34年4月1日少佐、35年3月1日空軍航空兵少佐、37年4月1日空軍航空兵中佐、39年8月27日空軍名誉航空兵大佐、39年10月1日空軍航空兵大佐、40年7月19日空軍航空兵少将、42年8月1日空軍航空兵中将。44年12月31日予備役編入。
75年1月2日、バーデン=ヴュルッテンベルク州バーデン=バーデン(Baden-Baden/ Baden-Württemberg)にて死去。
35年4月1日よりダム航空兵大隊(Fliegergruppe Damm)第2中隊にて初代中隊長を、36年3月15日よりヴェール航空兵大隊(Fliegergruppe Werl、在任中に II./ J.G.134 へ改編)の初代大隊長を、37年11月1日よりヴェルノイヒェン戦闘航空兵学校(Jagdfliegerschule Werneuchen)にて初代校長を務める。38年7月中のみ同地にて新編された IV./ J.G.132 の大隊長職を兼任し、39年11月より J.G.51 の初代航空団長へ就任。その後、第1戦闘航空兵指導官を歴任。

Eduard Ritter von Schleich (エデュアルト リッター フォン シュライヒ)
1888年8月9日、バイエルン王国オーベルバイエルン県ミュンヒェン(München, Bez.Oberbayern/ Königreich Bayern)にて出生。
進級:35年4月1日空軍航空兵少佐、36年8月1日空軍航空兵中佐、38年10月1日空軍航空兵大佐、39年8月27日空軍名誉航空兵少将、41年2月1日空軍航空兵少将、43年9月1日空軍航空兵中将。
47年11月15日、バイエルン州ディーセン(Dießen/ Bayern)の米軍捕虜収容所内にて死去。
37年3月15日より II./ J.G.234 にて初代大隊長を、38年11月1日より J.G.132 (在任中に J.G.26 へ改編)の初代航空団長を務め、39年12月15日よりヴィーン=シュヴェヒャト戦闘航空兵学校(Jagdfliegerschule Wien-Schwechat - 在任中に J.F.S.5 へ改編)の初代校長に就任。

Gottlob Müller (ゴットロープ ミュラー)
1895年3月17日、バイエルン王国ウンターフランケン県キッツィンゲン(Kitzingen, Bez.Unterfranken/ Königreich Bayern)にて出生。
進級:33年10月1日大尉、34年9月1日少佐、35年3月1日空軍航空兵少佐、36年10月1日空軍航空兵中佐、39年1月1日空軍航空兵大佐、41年11月1日空軍航空兵少将、43年11月1日空軍航空兵中将。
45年4月28日、ベルリン近郊ガートウ(Gatow bei Berlin)にて戦死。
34年4月1日からシュライスハイム航空兵大隊(学校)(Fliegergruppe (Schule) Schleißheim)にて初代大隊長を務める。

Andreas Nielsen (アンドレアス ニールゼン)
1899年12月23日、プロイセン王国シュレスヴィッヒ=ホルシュタイン州シュレスヴィッヒ県フレンズブルク(Flendsburg, Bez.Schleswig, Prov.Schleswig-Holstein/ Königreich Preußen)にて出生。
進級:35年7月1日空軍航空兵大尉、36年8月1日空軍航空兵少佐、39年10月1日空軍航空兵中佐、41年10月1日空軍航空兵大佐、43年3月1日空軍航空兵少将、44年7月1日空軍航空兵中将。
57年4月24日、シュレスヴィッヒ=ホルシュタイン州フレンズブルク(Flensburg/ Schleswig-Holstein)にて死去。
シュライヒが大隊長を務める II./ J.G.234 で37年5月から7月まで大隊長心得を務める。

Joachim-Friedrich Huth (ヨアヒム=フリードリヒ フート)
1896年7月21日、プロイセン王国ザクセン州マグデブルク県ノイホーフ(Neuhof, Bez.Magdeburg, Prov.Sachen/ Königreich Preußen)にて出生。
進級:34年3月1日大尉、35年3月1日空軍航空兵大尉、36年10月1日空軍航空兵少佐、39年1月1日空軍航空兵中佐、40年11月1日空軍航空兵大佐、43年4月1日空軍航空兵少将、44年7月1日空軍航空兵中将。
62年3月27日、ラインラント=プファルツ州コブレンツ(Koblenz/ Rheinland-Pfalz)にて死去。
ラオマン(後述)の後任として38年8月1日より II./ J.G.132 (在任中に I./ J.G.141〜I./ Z.G.141〜I./ Z.G.1 へ改編)の大隊長を、次いでデーリングの後任として39年12月14日より Z.G.26 の航空団長を務め、40年1月に新編の Z.S.1 の学校長を拝命した(11月までの間は兼任)。その後、オースターカンプの後任として41年8月1日より第2戦闘航空兵指導官を歴任。

Adolf Galland (アドルフ ガランド)
1912年3月19日、プロイセン王国ヴェストファーレン州アルンスベルク県ヴェスターホルト(Westerholt, Bez.Arnsberg, Prov.Westfalen/ Königreich Preußen)にて出生。
進級:35年1月1日少尉、35年3月1日空軍航空兵少尉、37年8月1日空軍航空兵中尉、39年10月1日空軍航空兵大尉、40年7月19日空軍航空兵少佐、40年11月1日空軍航空兵中佐、41年12月4日空軍航空兵大佐、42年11月19日空軍航空兵少将、44年11月1日空軍航空兵中将。
96年2月9日、ラインラント=プファルツ州オーベルヴィンター(Oberwinter/ Rheinland-Pfalz)にて死去。
34年にデーベリッツ航空兵大隊、35年4月1日にダム航空兵大隊に配属。36年4月1日より J.G.232 の技術将校を務める。コンドル軍団に志願し37年5月より J.Gr.88 の大隊本部附中隊長、7月27日から38年5月24日まで第3中隊長。帰国後、航空省にて組織編成に携わった後、38年11月1日より 1./ J.G.433 (在任中に 1./ J.G.52 へ改編)の初代中隊長、39年8月より 4.(S.)/ L.G.2 (第2教導航空団第4襲撃中隊)にて中隊長を務める。後に J.G.27 の副官となり、40年6月6日より III./ J.G.26 の大隊長を、8月22日より J.G.26 航空団長を務める。その後、航空省にて戦闘航空兵総監を歴任。45年1月より J.V.44 の部隊指導官となる。

Werner Junck (ヴェルナー ユンック)
1895年12月28日、プロイセン王国ザクセン州マグデブルク県マグデブルク(Magdeburg, Bez.Magdeburg, Prov.Sachen/ Königreich Preußen)にて出生。
進級:34年7月1日大尉、35年3月1日空軍航空兵大尉、35年4月1日空軍航空兵少佐、37年4月1日空軍航空兵中佐、39年10月1日空軍航空兵大佐、43年4月1日空軍航空兵少将、44年12月1日空軍航空兵中将。44年12月31日予備役編入。
76年8月6日、バイエルン州ミュンヒェン(München/ Bayern)にて死去。
レールツァーの後任として、38年4月1日から J.G.334 (在任中に J.G.133 へ改編)の航空団長を務める。その後、航空省にて戦闘航空兵兵監を歴任。

Dipl.-Ing. Johann Raithel (工学士 ヨハン ライテル)
1897年3月11日、バイエルン王国オーベルバイエルン県ミュンヒェン(München, Bez.Oberbayern/ Königreich Bayern)にて出生。
進級:34年5月1日大尉、34年12月1日少佐、35年3月1日空軍航空兵少佐、37年1月1日空軍航空兵中佐、39年4月1日空軍航空兵大佐、42年4月1日空軍航空兵少将、45年1月1日空軍航空兵中将。45年2月28日予備役編入。
61年1月29日、ハンブルク(Hamburg)にて死去。
34年4月1日よりデーベリッツ航空兵大隊第1中隊にて初代中隊長を、35年4月1日よりダム航空兵大隊にて初代大隊長を務め、次いで、36年4月1日よりデーベリッツ航空兵戦隊(Fliegergeschwader Döberitz - 在任中に J.G.132 へ改編)にて初代戦隊長に就任。その後、航空省にて戦闘航空兵兵監を歴任。

Eberhard Baier (エバーハルト バイアー)
1895年8月20日、プロイセン王国ヘッセン=ナッサオ州ヴィースバーデン県フランクフルト アム マイン(Frankfurt a. M., Bez.Wiesbaden, Prov.Hessen-Nassau/ Königreich Preußen)にて出生。
進級:33年4月1日大尉、34年12月1日少佐、35年3月1日空軍航空兵少佐、37年3月1日空軍航空兵中佐、39年4月1日空軍航空兵大佐、42年4月1日空軍航空兵少将、45年3月1日空軍航空兵中将。
83年2月21日、ヘッセン州ヴィースバーデン(Wiesbaden/ Hessen)にて死去。
38年11月1日から L.G.2 の初代航空団長を務める。航空団本部は戦闘機装備であったが39年11月18日に急降下爆撃機隊として St.G.1 の航空団本部へと改組。

Gerd von Massow (ゲルト フォン マッソウ)
1896年9月13日、プロイセン王国シュレスヴィッヒ=ホルシュタイン州シュレスヴィッヒ県ハダースレーベン(Hadersleben, Bez.Schleswig, Prov.Schleswig-Holstein/ Königreich Preußen)にて出生。
進級:35年4月1日空軍航空兵少佐、37年4月1日空軍航空兵中佐、39年10月1日空軍航空兵大佐、43年4月1日空軍航空兵少将、45年4月20日空軍航空兵中将。
67年6月29日、ニーダーザクセン州バート ピルモント(Bad Pyrmont/ Niedersachsen)にて死去。
35年10月5日からシュライスハイム航空兵大隊(学校)にて大隊長を、次いで36年6月9日よりライテルの後任として J.G.132 の航空団長を務める。その後、40年3月8日より第3戦闘航空兵指導官を歴任。

Generalmajor

Dipl.-Ing. Hans Klein (工学士 ハンス クライン)
1891年1月17日、バイエルン王国ニーダーバイエルン県シュテッティン(Stettin, Bez.Niederbayern/ Königreich Bayern)にて出生。
進級:34年3月15日大尉、35年3月1日空軍航空兵大尉、35年4月1日空軍航空兵少佐、37年1月1日空軍航空兵中佐、39年4月1日空軍航空兵大佐、41年2月1日空軍航空兵少将。41年6月1日より休職。43年5月31日予備役編入。
44年11月18日、自動車事故によりブレーメン(Bremen)にて死亡。
39年2月1日よりユンックの後任として J.G.133 (在任中に J.G.53 へ改編)の航空団長を務め、39年12月に第3戦闘航空兵指導官として転出。

Hermann Frommherz (ヘルマン フロムヘルツ)
1881年8月10日、バーデン大公国ヴァルトシュット(Waldshut/ Großherzogtum Baden)にて出生。
進級:34年10月1日大尉、35年3月1日空軍航空兵大尉、35年10月1日空軍航空兵少佐、38年4月1日空軍航空兵中佐、39年10月1日空軍航空兵大佐、43年4月1日空軍航空兵少将。
64年12月30日、バーデン=ヴュルッテンベルク州ヴァルトシュット=ティーンゲン(Waldshut-Tiengen/ Baden-Württemberg)にて死去。
38年9月1日より I./ J.G.134 (在任中に I./ J.G.142〜I./ Z.G.142 へ改編)の大隊長を、39年4月1日よりシュライスハイム戦闘航空兵学校(Jagdfliegerschule Schleißheim - 在任中に J.F.S.2 へ改編)にて初代校長を務める。

Hans-Detlef Herhudt von Rohden (ハンス=デトレーフ ヘルフート フォン ローデン)
1899年9月23日、プロイセン王国シュレージエン州リークニッツ県リークニッツ(Liegnitz, Bez.Liegnitz, Prov.Schlesien/ Königreich Preußen)にて出生。
進級:34年4月1日大尉、35年3月1日空軍航空兵大尉、35年9月1日空軍航空兵少佐、38年2月1日空軍航空兵中佐、40年7月30日空軍航空兵大佐、43年10月1日空軍航空兵少将。
51年12月14日、ヘッセン州ヴィースバーデン(Wiesbaden/ Hessen)にて死去。
II./ J.G.334 にて37年3月15日から6月30日まで初代大隊長を務める。

Nikolaus Maier (ニコラオス マイアー)
1897年1月30日、バイエルン王国オーベルバイエルン県ミュンヒェン(München, Bez.Oberbayern/ Königreich Bayern)にて出生。
進級:34年2月1日大尉、35年3月1日空軍航空兵大尉、35年8月1日空軍航空兵少佐、37年10月1日空軍航空兵中佐、40年4月1日空軍航空兵大佐、43年10月1日空軍航空兵少将。懲役五年の裁判確定し44年4月9日失官となる。恩赦によって44年12月9日釈放。45年2月9日免官。
68年3月26日、バイエルン州ガルミッシュ=パルテンキルヒェン(Garmisch-Partenkirchen/ Bayern)にて死去。
シェーネベック(後述)の後任として36年10月1日から II./ J.G.132 にて大隊長を務める。

Dipl.-Ing. Georg Weiner (工学士 ゲオルク ヴァイナー)
1895年8月22日、ザクセン王国ドレスデン(Dresden/ Königreich Sachsen)にて出生。
進級:35年4月1日空軍航空兵少佐、37年3月1日空軍航空兵中佐、39年6月1日空軍航空兵大佐、43年10月1日空軍航空兵少将。45年2月28日予備役編入。
57年1月24日、ニーダーザクセン州ゲッティンゲン(Göttingen/ Niedersachsen)にて死去。
レールツァーの後任として37年3月1日から38年1月31日まで I./ J.G.232 (在任中に I./ J.G.137 へ改編)にて大隊長を務める。

Max-Josef Ibel (マックス=ヨーゼフ イーベル)
1896年1月2日、バイエルン王国オーベルバイエルン県ミュンヒェン(München, Bez.Oberbayern/ Königreich Bayern)にて出生。
進級:34年4月1日大尉、35年3月1日空軍航空兵大尉、35年11月1日空軍航空兵少佐、38年6月1日空軍航空兵中佐、40年7月21日空軍航空兵大佐、44年1月1日空軍航空兵少将。
81年3月19日、ノルトライン=ヴェストファーレン州ラインバッハ(Rheinbach/ Nordrhein-Westfalen)にて死去。
37年4月1日より I./ J.G.135 の初代大隊長を、次いで38年11月7日より J.G.231 (在任中に J.G.3 へ改編)の初代航空団長、39年10月1日より J.G.27 の初代航空団長を務め、40年10月12日から J.F.S.4 の校長職を拝命。その後、ユンックの後任として41年6月6日より第3戦闘航空兵指導官を歴任。

Carl-Alfred Schumacher (カール=アルフレート シューマッハー)
1896年2月19日、プロイセン王国ヴェストファーレン州ミュンスター県ライネ(Rheine, Bez.Münster, Prov.Westfalen/ Königreich Preußen)にて出生。
進級:33年3月1日中尉、33年10月1日大尉、35年3月1日空軍航空兵大尉、36年8月1日空軍航空兵少佐、39年3月1日空軍航空兵中佐、40年7月19日空軍航空兵大佐、44年1月1日空軍航空兵少将。
67年5月22日、ノルトライン=ヴェストファーレン州バート ゴーデスベルク(Bad Godesberg/ Nordrhein-Westfalen)にて死去。
I./ J.G.136 大隊附将校であったが、37年9月27日より同大隊(在任中に II./ J.G.333〜II./ J.G.77 へ改編)の大隊長を務め、39年11月30日に北西方面戦闘航空団(J.G.Nordwest - 在任中に J.G.1 へ改編)の初代航空団長へ就任。その後、ノルウェー方面戦闘航空兵指導官(Jagdfliegerführer Norwegen)を歴任。

Carl-August von Schoenebeck (カール=アオグスト フォン シェーネベック)
1898年1月19日、プロイセン王国シュレージエン州ブレスラオ県ベルンシュタット(Bernstadt, Bez.Breslau, Prov.Schlesien/ Königreich Preußen)にて出生。
進級:34年9月1日大尉、35年3月1日空軍航空兵大尉、36年4月1日空軍航空兵少佐、38年10月1日空軍航空兵中佐、41年4月1日空軍航空兵大佐、44年4月1日空軍航空兵少将。44年12月31日予備役編入。
89年9月4日、バイエルン州ミュンヒェン(München/ Bayern)にて死去。
35年4月1日からダム航空兵大隊第1中隊にて初代中隊長を、次いで36年4月1日よりライテルの後任として同大隊の大隊長を務める。

Walter Hagen (ヴァルター ハーゲン)
1897年3月16日、プロイセン王国シュレスヴィッヒ=ホルシュタイン州シュレスヴィッヒ県キール(Kiel, Bez.Schleswig, Prov.Schleswig-Holstein/ Königreich Preußen)にて出生。
進級:35年4月1日空軍航空兵大尉、38年2月1日空軍航空兵少佐、40年7月1日空軍航空兵中佐、42年4月1日、空軍航空兵大佐、44年7月1日空軍航空兵少将。45年2月28日予備役編入。
63年11月24日、シュレスヴィッヒ=ホルシュタイン州キール(Kiel/ Schleswig-Holstein)にて死去。
39年9月の一時期、II.(J.)/ 186 (第186航空団第II戦闘大隊)にて大隊長を務める。

Walter Grabmann (ヴァルター グラープマン)
1905年9月20日、バイエルン王国オーベルバイエルン県バート ライヒェンハル(Bad Reichenhall, Bez.Oberbayern/ Königreich Bayern)にて出生。
進級:34年10月1日中尉、35年3月1日空軍航空兵中尉、35年4月1日空軍航空兵大尉、38年12月1日空軍航空兵少佐、40年7月19日空軍航空兵中佐、42年4月1日空軍航空兵大佐、44年8月1日空軍航空兵少将。
92年8月20日、バイエルン州ミュンヒェン(München/ Bayern)にて死去。
J.G.134 で副官を務めた後、37年3月16日より I./ J.G.234 の大隊長を、38年9月10日よりスペインの J.Gr.88 にて大隊長を、39年4月1日より I.(Z.)/ L.G.1 (第1教導航空団第I駆逐大隊 - 在任中に V.(Z.)/ L.G.1 へ改編)にて大隊長、40年4月15日より Z.G.26 にて航空団長を歴任(一時期、ノルウェー方面戦闘航空兵指導官を兼任)。41年8月1日には Z.S.2 の学校長職を拝命し、その後、42年8月20日よりオランダ=ルール地方方面戦闘航空兵指導官(Jagdfliegerführer Holland-Ruhrgebiet)。

Eitel-Friedrich Roediger von Manteuffel (アイテル=フリードリヒ レーディガー フォン マントイフェル)
1895年9月24日、バーデン大公国カールスルーエ県ラスタット(Rastatt, Bez.Karlsruhe/ Großherzogtum Baden)にて出生。
進級:36年1月1日空軍航空兵少佐、38年1月1日空軍航空兵中佐、40年9月1日空軍航空兵大佐、44年10月1日空軍航空兵少将。
84年7月31日、ヘッセン州ヴィースバーデン(Wiesbaden/ Hessen)にて死去。
39年10月1日より J.G.77 にて航空団長を務める。その後、40年12月22日より J.F.S.3 校長、中部方面戦闘航空兵指導官(Jagdfliegerführer Mitte)を歴任。

Dr.-Ing. Ernst Bormann (工学博士 エルンスト ボルマン)
1897年11月5日、ブラオンシュヴァイク公国キルヒブラーク(Kirchbrak/ Herzogtum Braunschweig)にて出生。
進級:34年9月1日大尉、35年3月1日空軍航空兵大尉、38年1月1日空軍航空兵少佐、40年7月19日空軍航空兵中佐、41年4月1日空軍航空兵大佐、44年10月1日空軍航空兵少将。
60年8月1日、ノルトライン=ヴェストファーレン州デュッセルドルフ(Düsseldorf/ Nordrhein-Westfalen)にて死去。
38年7月1日から III./ J.G.132 (後の II./ J.G.141)の大隊長を務める。

Ulrich Diesing (ウルリッヒ ディージング)
1911年3月12日、プロイセン王国ブランデンブルク州フランクフルト アン デア オーデル県トゥレープシェン(Trebschen, Bez.Frankfurt a. d. O., Prov.Brandenburg/ Königreich Preußen)にて出生。
進級:35年2月1日少尉、35年3月1日空軍航空兵少尉、36年10月1日空軍航空兵中尉、39年6月1日空軍航空兵大尉、42年4月1日空軍航空兵少佐、43年3月1日空軍航空兵中佐、44年3月1日空軍航空兵大佐、44年11月1日空軍航空兵少将。
45年4月17日、メックレンブルク州ボイツェンブルク(Boizenburg/ Mecklenburg)にて事故死。
41年9月15日より I./ S.K.G.210 (在任中に I./ Z.G.1 へ改編)にて大隊長を務め、42年3月3日に Z.G.1 の航空団長へと抜擢。

Karl Hentschel (カール ヘンチェル)
1899年9月23日、プロイセン王国オストプロイセン州ケーニヒスベルク県ケーニヒスベルク近郊ノイダム(Neudamm bei Königsberg, Bez.Königsberg, Prov.Ostpreußen/ Königreich Preußen)にて出生。
進級:34年10月1日大尉、35年3月1日空軍航空兵大尉、39年1月1日空軍航空兵少佐、41年10月1日空軍航空兵中佐、43年4月1日空軍航空兵大佐、44年12月1日空軍航空兵少将。
56年12月12日、ノルトライン=ヴェストファーレン州ミュンスター(Münster/ Nordrhein-Westfalen)にて死去。
40年3月31日から9月9日まで II./ J.G.77 にて大隊長を務める。

Arthur Laumann (アルトゥール ラオマン)
1894年7月4日、プロイセン王国ラインラント州デュッセルドルフ県エッセン(Essen, Bez.Düsseldorf, Prov.Rheinland/ Königreich Preußen)にて出生。
進級:35年4月1日空軍航空兵少佐、37年8月1日空軍航空兵中佐、39年8月27日空軍名誉航空兵大佐、40年1月1日空軍航空兵大佐、45年3月1日空軍航空兵少将。45年3月1日予備役編入。
SA では、32年8月24日 SA-大佐(SA-Standartenführer)へ任官。
70年11月19日、ノルトライン=ヴェストファーレン州ミュンスター(Münster/ Nordrhein-Westfalen)にて死去。
マイアーの後任として37年4月1日から38年7月31日まで II./ J.G.132 にて大隊長を務める。

Oskar Dinort (オスカル ディノルト)
1901年6月23日、プロイセン王国ブランデンブルク州ポツダム県シャルロッテンブルク(Charlottenburg, Bez.Potsdam, Prov.Brandenburg/ Königreich Preußen)にて出生。
進級:34年5月1日大尉、35年3月1日空軍航空兵大尉、37年3月1日空軍航空兵少佐、40年7月19日空軍航空兵中佐、41年9月1日空軍航空兵大佐、45年4月1日空軍航空兵少将。
65年5月29日、ノルトライン=ヴェストファーレン州ケルン=リール(Köln-Riehl/ Nordrhein-Westfalen)にて死去。
34年5月1日よりデーベリッツ航空兵大隊にて作戦将校を、後に航空省の戦闘航空兵兵監部で作戦参謀として勤務後、リップシュタット航空兵大隊(Fliegergruppe Lippstadt - 在任中に III./ J.G.134 へ改編)の初代大隊長へ就任。37年3月15日よりグライフスヴァルト教導航空団第II重戦闘大隊(II.(s.J.)/ L.G.Greifswald)の初代大隊長を務める。

Text: © 2005-2013, Fuß


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