Einleitung

I. - 航空団の編制

ドイツ空軍(Luftwaffe)の航空部隊における戦術上の最大単位は航空団(Geschwader)である。ここでは戦闘機諸隊の航空団以下の編制について解説する。

最も小さな飛行単位は、ケッテ(Kette)と呼ばれる密集した三機編隊であったが、 Bf109 が実用化され飛行速度が高くなると、ロッテ(Rotte)と呼ばれる二機編隊による戦術がスペイン内戦で確立され、より効果的な攻撃と防御を行なう為にロッテ二組を組み合わせてシュヴァルム(Schwarm)と呼ばれる四機編隊でも作戦が行われた。以後、この機が各部隊に配備されたことによって戦闘隊でのケッテによる作戦行動は激減した。尚、複数のケッテの集合体もシュヴァルムと呼ばれる。
各中隊に於ける編隊長(Kettenführer、Rottenführer、Schwarmführer)は将校や熟練した下士官が務めた。但し、将校であっても飛行技倆が低い(戦時には実戦経験が浅い)場合は列機(Kettenflieger、Rottenflieger)として技量がつくまで飛ばなければならなかった。
尚、多座機の場合はそれぞれに機上無線手(Bordfunker)と機上射手(Bordschütze)が加わる。

部隊としての最小単位は中隊(Staffel)であり、アラビア数字(3./ J.G.2 ならば第2戦闘航空団第3中隊)で表記される。これらには同一航空団内で通し番号が与えられ、第1〜第3が第 I 、第4〜第6が第 II 、第7〜第9が第 III 、第10〜第12が第 IV 、第13〜第15が第 V 大隊の下にあった。
中隊の指揮は中隊長(Staffelkapitän)によって行なわれるが、休暇中、負傷中、また異動による空位が発生した場合は中隊長心得(Staffelführer)によって代行される。
当初、訓練機を含めない中隊の装備機数は9機 - つまり、中隊の操縦士(Flugzeugführer)の定員は9名 - であったが、ロッテ(シュヴァルム)の一般化から12機へと増加した。これらの定数は43年には更に増加し、16機とするよう指示が出されたが増加の一途をたどる部隊数と戦局の悪化により、その要求が満たされる事は無に等しかった。
中隊は部隊である故に地上員が多数所属しており、彼らの定員は部隊の装備する機種や時期等によって変化があるが、概ね一機につき4、5名の機付担当員(Wart)が割り当てられた。よって、航空機部隊では飛行要員より地上員の方が格段に多くなる点に留意すべきである。

飛行場の使用や移動は大隊(Gruppe)別に行なわれ、書類上では中隊と区別する為にローマ数字(I./ J.G.2 ならば第2戦闘航空団第 I 大隊)を使用した。大隊長(Gruppenkommandeur)は、大隊本部(Gruppenstab)とそれに附随する大隊本部附中隊(Stabskompanie - 地上勤務の中隊 -)、及び三個中隊を指揮した。何らかの理由で大隊長が不在となる場合は中隊の場合と同様、大隊長心得(Gruppenführer)によって代行されるがこの職には大隊本部幕僚や配下の中隊長が指名されるのが一般的であった。
43年秋には西部に布陣した J.G.2 及び J.G.26 の大隊が四個中隊編制に増強されたが、これは予期された連合軍の上陸に対し二個航空団で対応が求められた事に影響されている。次いで、44年春には爆撃中隊や東部の戦闘機中隊を間引いて帝国防衛を担う複数の昼間戦闘機大隊の指揮下へ移動させ戦力増強を図り、8月から9月にこれらの大隊は正式な四個中隊編制となった。対して、東部で活動を続けた戦闘航空団の一部、駆逐航空団や夜間戦闘航空団の大隊は終始一貫して三個中隊編制であった。尚、大隊が四個中隊となる場合、第1〜第4が第 I 、第5〜第8が第 II 、第9〜第12が第 III 、第13〜第16が第 IV 大隊の下に置かれる。

航空団本部(Geschwaderstab)と三個大隊から構成されるのが航空団(Geschwader)であり、航空団長(Geschwader Kommodore)が指揮を執った。開戦後は、通信中隊(Luftnachrichtenkompanie)をその指揮下に組織している。42年以降、四個(N.J.G.5 については五個)大隊編制へと増強された戦闘航空団と夜間戦闘航空団があったが、これらの航空団はその大隊を異なる戦区で活動させる場合が多かった。例えば、A 航空団の大隊を B 航空団の下で運用する場合、大隊の指揮は B 航空団に、大隊の管理は A 航空団に委ねられる。
また、J.G.51 は42年末から、多くの夜間戦闘航空団は45年初頭からそれぞれ航空団本部直属の本部附中隊(Stabsstaffel - 空中勤務の中隊 -)を持った。

各部隊長職の等級については DLV 時代の階級名から察せられるように、中隊長心得が中尉、中隊長が大尉、大隊長が少佐、航空団長が中佐もしくは大佐とされていたが、既に平時より上級職として一級下で補されるのが一般的であった。これは就任中に於いて本来の階級への進級を考慮し経験豊富な人物が指名されたが、根本的な要因は国防軍全体に於ける絶対的な将校不足にあった。この問題は戦時になると更に深刻化し、曹長であるにもかかわらず中隊長心得に任命される者も現れ、少尉での中隊長は大戦末期にはかなりの数に上った。また、中尉として大隊長の任に就く者もあった。

II. - 名誉称号

戦闘隊のみならず、空軍初でもあった名誉称号は35年3月25日付規定 L.V.35, Nr.91(35年空軍官報第91号)によって公布された 「リヒトホーフェン(Richthofen)」 である。1910年代中頃に生まれ航空兵となった者達の多くは第一次大戦での撃墜王、マンフレート=アルブレヒト フライヘア フォン リヒトホーフェン大尉(Rittm. Manfred-Albrecht Frhr. v. Richthofen)の伝記を目にしており、彼に憧れて航空兵を目指した者が少なくはなかった。よって、この制定は士気の高揚に大きく貢献したと考えられる。この頃、部隊はまだデーベリッツ航空兵大隊(Fliegergruppe Döberitz)のみであったが次第に大隊が増設され、後に航空団へと拡大された。戦時中は J.G.2 として勇名を轟かせる事となる。

ズデーテンラントの進駐後に士気高揚を狙い、この地域に編成されたドルトムント航空兵戦隊(Fliegergeschwader Dortmund:大戦中は Z.G.26、後に J.G.6)が 「ホルスト ヴェッセル(Horst Wessel)」 の指定 - 36年4月6日の L.V.36, Nr.457(36年空軍官報第457号)- を受けた。但し、部隊章や袖章はそれを示していたが、隊員達はこの称号を呼称としてほとんど用いなかったと言われる。これには、駆逐航空団自体が対英戦で目立った戦績を収められなかった事が大きく作用していると思われる。また、党の影響を受ける事に肯定的ではない隊員にはホルスト ヴェッセル SA-少尉(SA-Stuf. Horst Wessel)が一切航空に関連がなく、銃撃を受けて30年2月23日に死亡した SA 隊員であった点や戦時中に第18 SS 義勇機甲擲弾兵師団へ同名の称号が与えられた点も受け入れ難く映ったのかも知れない。

三番目の名誉称号は、38年12月8日の L.V.39C, Nr.48(39年C空軍官報第48号)によって J.G.132(後の J.G.26)へと与えられた。これは、「シュラーゲーター(Schlageter)」であり、航空兵に因んではいないもののホルスト ヴェッセルとは対照的に広く使用された。やはりその要因は、40年夏以降の航空団の大きな活躍にあると考えられる。参考までに NSDAP 党員であったアルベルト=レオ シュラーゲーター(Albert-Leo Schlageter)はルール地方での活動中に逮捕され、フランス軍事法廷での死刑宣告により23年5月26日にデュッセルドルフ(Düsseldorf)でその執行が行なわれており、当地方の国家主義者の間では勇士とされていた。

続く称号名は、開戦後の41年12月20日に L.V.42, Nr.59(42年空軍官報第59号)で与えられた J.G.3 に対する 「ウーデット(Udet)」 と J.G.51 に対する 「メルダース(Mölders)」であったがそれらは空軍に起こった大きな悲劇を反映していた。エルンスト ウーデット(Ernst Udet)上級大将は航空廠長という自らの職務の重責に耐えかねて11月17日に自殺を遂げ(戦時中は事故死と公表)、戦闘航空兵総監であったヴェルナー メルダース(Werner Möders)大佐はその葬儀へ向かう途中の11月22日に墜死した。ウーデットは第一次大戦にてリヒトホーフェンに次ぐ62機の撃墜を記録しており、一方のメルダースは墜死時に当時としては首位の撃墜記録としてギュンター リュッツォウ(Günther Lützow)少佐と共に101機撃墜の記録(両名とも以降の出撃は禁止された)で肩を並べていた。彼らの死は戦闘隊関係者の士気に大きな影を落とした。

最後の名誉称号 「エーザオ(Oesau)」を付与されたのは J.G.1 であり、これは44年5月11日に戦死した同航空団長のヴァルター エーザオ(Walter Oesau)大佐を称えたものであった。名誉称号の指定は受けたが袖章は製造されず、勲記のみにその記録が見られる。恐らく、戦争末期の混乱で広く使用される事はなかったと考えられる。

上記の他に、非公式な名称を幾つかの航空団が持っていた。それは、航空団としての結束力を持つ為に名付けられたものが多く、航空団単位で行動していた時期にそのような名称で呼ばれる事が多かった。
航空団章に因んだ J.G.53 の「ピーク アス(Pik As)」、J.G.77 の「ヘルツ アス(Herz As)」、J.G.54 の「グリューンヘルツ(Grünherz)」、また作戦地域に因んだ J.G.5 の「アイスメーア(Eismeer)」等がそれである。

III. - 名前の解釈に対する考察

初めて戦闘航空団(Jagdgeschwader)なる呼称が使用されたのは1917年6月26日、つまり第一次大戦下のドイツ陸軍に於いてである。Jagd は英語の hunt(名詞)に相当し、「(狩猟での)追跡」 といった意味合いが強い。

駆逐航空団(Zerstörergeschwader)という呼び方は39年1月1日からであり、Zerstörer は destroyer に相当する。

夜間戦闘航空団(Nachtjagdgeschwader)は40年6月22日に設立され、戦闘機諸隊の内では最も新しいものであった。これは、night hunt に相当すると考えてよい。

空軍の編制は陸軍に準じており、以下の表のような呼称を使用した。

航空兵部隊 高射砲兵部隊 通信兵部隊
聯隊規模 Geschwader Regiment -
大隊規模 Gruppe Abteilung
中隊規模 Staffel Batterie Kompanie

ここで注意すべきなのは、空軍でも地上勤務の部隊は陸軍と同様の名称(上記の右二列)を使用しているのに対し、空中勤務部隊の用語は海軍と同じものが用いられている点である。これは大空を大海原に喩えたものだと解釈できる。ちなみに、航空団内部でも通信中隊や大隊本部にあった本部中隊等の飛行任務を負わない部隊は -Kompanie という風に、地上部隊に準じた名称を用いた(第 I 章参照)。空軍の語句はこの辺を踏まえて解釈するのが良いのかも知れない。

戦闘機を意味する Jäger(英語での hunter)は海軍では潜水艦(U-Boot)を意味し、Zerstörer はそのまま駆逐艦を意味した。余談ではあるが、「ドイツ語」 では爆撃機に対して Bombenflugzeug(爆撃の航空機)が使用されるが、第三帝国時代のドイツ空軍では Kampfflugzeug(戦闘の航空機)と呼ばれていた。これは当時の空軍に於ける 「航空戦は爆撃機主導」 とする考えが投影されていると捉えてもよいであろう。
海軍に於いて Geschwader は支隊、 Staffel は梯隊の意を持つ。ちなみに、Geschwader や Staffel は英語では相当する単語を見出せないが、Gruppe は group に相当する。

以上の事から、例えば Jagdgeschwader を戦闘聯隊、追撃航空団、またドイツに倣っていた日本陸軍の 「戦隊」 を使用して戦闘戦隊等と訳しても誤りではないが邦書の大部分が 「戦闘航空団」 としているので当サイトでもこれに倣うこととする。また、36年6月1日の改称以前の部隊呼称について、当サイトでは Fliegergeschwader を 「航空兵戦隊」 とした。語彙の使用については Wörterverzeichnis の頁も参照されたい。

IV. - 略称の綴り方と意味

航空団の表示は多くの場合、J.G.2 等のように短縮されるが、これを音読の通りに書くと Jagdgeschwader Zwei であり、Jagd-Geschwader 2 のように記される場合も稀に見られた。極めて厳密に記すならば Jagdgeschwader Nr.2(Nummer Zwei)とされ、更に名誉称号を加えた場合は、Jagdgeschwader "Richthofen" Nr.2 や Jagdgeschwader Nr.2 "Richthofen" と書かれた。但し、略記の場合は J.G. "Richthofen" 2 とは記されずに J.G.2 "Richthofen" とされた。航空団の数字は、"Nummer" の略がある為に序数でなく基数とされる点に注意が必要である。

大隊や中隊をそれに加えた場合は二格を用いて 「〜の〜」 となる。
   例:
    Stab/ J.G.2 = Stab des Jagdgeschwaders Zwei
     (第2戦闘航空団の本部)
    I./ J.G.2 = erste Gruppe des Jagdgeschwaders Zwei
     (第2戦闘航空団の1番目の大隊)
    3./ J.G.2 = dritte Staffel des Jagdgeschwaders Zwei
     (第2戦闘航空団の3番目の中隊)
大隊や中隊の数字は Punkt がついている事からも序数である事が分かる。Verband は二格になると -es 、Geschwader、Kommando は -s となるのに対して、Gruppe、Staffel、Schule は女性名詞であるので二格でも変化が無い。
   例:
    1./ J.Gr.Ost = erste Staffel der Jagdgruppe Ost (女性二格なので定冠詞は der)
     (東部方面戦闘大隊の1番目の中隊)

更に航空団で部隊長職に就いている場合も二格を用い 「〜の〜」 という風に使用される。
   例:
    Kmdre. J.G.2 = Geschwader Kommodore des Jagdgeschwaders Zwei
     (第2戦闘航空団の航空団長)
    Kdr. I./ J.G.2 = Gruppenkommandeur der ersten Gruppe des Jagdgeschwaders Zwei
     (第2戦闘航空団の1番目の大隊の大隊長)
    Staffelfhr. 3./ J.G.2 = Staffelführer der dritten Staffel des Jagdgeschwaders Zwei
     (第2戦闘航空団の3番目の中隊の中隊長心得)

航空団で複数存在する地位は in と三格で 「〜の中にいる〜」 として用いられる。
   例:
    Flzgfhr. im J.G.2 = Flugzeugführer im Jagdgeschwader Zwei (im は in dem の略)
     (第2戦闘航空団の中にいる操縦士)
    Flzgfhr. im Stab/ J.G.2 = Flugzeugführer im Stab des Jagdgeschwaders Zwei
     (第2戦闘航空団の本部の中にいる操縦士)
    Flzgfhr. im Stab I./ J.G.2 = Flugzeugführer im Stab der ersten Gruppe des Jagdgeschwaders Zwei
     (第2戦闘航空団の1番目の大隊の本部の中にいる操縦士)
    Flzgfhr.i.d. 3./ J.G.2 = Flugzeugführer in der dritte Staffel des Jagdgeschwaders Zwei
     (第2戦闘航空団の3番目の中隊の中にいる操縦士)

数詞の基数と序数の違い、性による定冠詞、形容詞や名詞の語尾の変化は我々日本人の目から見ると難解に映る。

Text: © 2003-2012, Fuß


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