Vorkriegszeit der Zerstörer
I. - 重戦闘機構想と開発指示
第一次世界大戦と第二次世界大戦の間、各国の用兵者達は重戦闘機という机上の理論による産物に対し大きな関心を寄せた。重戦闘機とは爆撃機に随伴して護衛を行なう為の機種であり、敵地侵入後に味方爆撃機隊へ襲いかかる敵の邀撃戦闘機を撃墜もしくは破壊する事がこの種の機体の目的であった。よって、この種の機には長い航続距離と強力な火器、優れた高速性能が要求された。この為、機体は前方に対する機載銃は当然として後方への銃座も求められ、複座が理想とされた。加えて長距離飛行の為に燃料槽は大型化し、武装と兵員及び燃料の重量はそれまでの戦闘機より格段に増加した。これら重量の増加にもかかわらず高い運動性を求められていたので、発動機は複数を使用する必要性が発生し双発機となった。II. - 部隊設立
戦闘機部隊として二番目に設立されたダム航空兵大隊は、その編成当初から戦術面での研究を担当した。ここでは空中戦と邀撃に関するものが主体であり、重戦闘機の用法についても課題の一つとして扱われた。但し、第 I 章で述べたようにこの時期には RLM 内で重戦闘機を疑問視する関係者も存在しており、大隊の装備が He51 のみでもあったので軽戦闘機と重戦闘機の区分も明確ではなかった。この境界への線引きは Bf109 と Bf110 の採用が影響し、ユーターボーク=ダムでの重戦闘機研究も RLM に於ける Bf110 の実用への具体化から少しずつ熱を帯びてくるのであった。
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註: スペイン内戦にて実戦下での戦闘機の戦術が考案され、37年10月に創設された I.(le.J.)/ L.G.Greifswald でそれを反映するべく研究が開始されている点を考慮すれば、この時期に II./ J.G.132 はそれまで行なってきた戦術開発の任務を解かれたとするのが妥当のように思われる。これにより、当大隊は38年11月に重戦闘隊への指定を受けたものと考えられる。
これら戦闘部隊が38年11月1日に再編成を受けたのは、ズデーテンラントの割譲を受けても尚、領土欲の収まらないヒトラーによりほぼ戦争が不可避の状態に持ち込まれ、西部ではフランスからの防御が深刻化し、東部ではチェコスロヴァキアへの侵入が近い将来に起こり得ると想定されたからであろう。III. - 駆逐機の配備
実戦部隊である戦闘航空団への Bf110B-1 の配備は RLM が Bf110B の生産数を 45機に留めた事で大幅に遅れる事となった。これは、当初搭載予定だったダイムラー ベンツ DB600 発動機の開発の遅れが影響し、替わりに搭載したユンカースの Jumo210 では予定された性能値が実現出来なかった事に起因していた。IV. - 部隊改編
チェコスロヴァキアでの作戦を終え、航空諸隊は39年5月1日に再編を行なった。空軍集団(Luftwaffengruppe)は航空艦隊(Luftflotte)へと改編されていた事から、各駆逐機部隊も他の飛行部隊同様に100を四等分しそれぞれの航空艦隊に割り当てた振り分け番号を付与された。
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V. - 戦前唯一の作戦行動
Bf110 に対して生産の遅れと製造数の少なさ故からスペイン内戦に於ける試用は実施されなかった。これについては、駆逐機支持の立場にあったゲーリングの影響が及んでいる可能性もある。ここでは、駆逐機の戦前に於ける作戦行動への参加について述べたいが、結局のところチェコ進駐のみであるので IV 章と前後してしまうことになる。この点、注意して頂きたい。Text: © 2002-2006, Fuß