Ergänzungsjagdverbände
昼間戦闘隊に於ける錬成中隊の起源は39年9月の四個戦闘航空兵錬成中隊(Jagdflieger-Ergänzungsstaffel)の編成に端を発する。中隊の目的は J.F.S.(Jagdfliegerschule:戦闘航空兵学校)より配属された飛行士達の育成であり、これらの中隊はフランスへの侵攻を控えた翌40年2月にメルゼブルク(Merseburg)で一個の錬成戦闘大隊に統合された。
メルゼブルク錬成戦闘大隊とは別に、同年秋には航空団規模で活動していた各戦闘航空団内にも独立中隊として錬成中隊が編成され始めた。これはイギリス航空戦による損失の激化により補充要員の育成が四個中隊では賄えなくなった事が起因すると思われ、よってメルゼブルク錬成大隊は、これら各航空団の錬成中隊に吸収・解隊された。
錬成中隊が設立された航空団:
J.G.2、3、26、27、51、52、53、54、及び 77
部隊は翌年春から夏(J.G.53のみ、40年11月)にかけて中隊規模から大隊規模へと昇格し、それまでの中隊の任務は錬成大隊の第2訓練中隊が受け継ぎ、大隊本部と第1実戦中隊は新設となった。
Stab Ergänzungsgruppe (錬成大隊本部:新編)
1. Einsatzstaffel (第1実戦中隊:新編)
2. Ausbildungsstaffel (第2訓練中隊:前 Erg.Staffel)
42年初頭に各戦闘航空団の錬成大隊を統合し、三個錬成戦闘大隊(Erg.-J.Gr.)の編成が決定した為、多くの大隊本部と第2訓練中隊は新しい錬成戦闘大隊の基幹となった。また、殆どの第1実戦中隊は新しく編成される J.G.1 の第 III 及び第 IV 大隊となった。
新規大隊と基幹部隊:
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註: 三個の錬成戦闘大隊は、42年11月に部隊名称から “錬成(Ergänzungs-)” の文字を削除した。
44年9月1日に J.Gr.Nord が編成された。その後の44年11月には、錬成部隊の再編が実施され二個の E.J.G.(Ergänzungs-Jagdgeschwader:錬成戦闘航空団)が誕生した。先述の四個戦闘大隊は一個航空団に統合され E.J.G.1 として、それまで同様に訓練戦闘航空団(100番台の部隊番号を持つ)の課程を修了した航空兵に対する指導を行なった。一方、E.J.G.2 の主任務はレシプロ機からジェット機(第IV大隊はロケット機)への機種転換訓練とされていた。
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しかし、これらの航空団は極く一部の中隊を除き45年4月に解隊となった。最たる原因としては前線での航空機不足と燃料不足、及び形骸化した空軍内で搭乗員育成をする事が不可能となった点が挙げられる。戦闘は航空戦から地上戦へと推移していた為、飛行兵の中にも地上の任務に就いた者が多かった。
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