Ergänzungsnachtjagdverbände
イギリス航空戦での駆逐機部隊の敗退によって、彼らの Bf110 は夜間戦闘隊へと委譲され、それまで捗らなかった夜間防空の戦力増強は大幅に進む事となった。
初の夜間戦闘航空団の設立は40年6月であったが、夜間戦闘隊にとっての初の錬成部隊の誕生は40年10月の Ergänzungsstaffel/ N.J.G.2(第2夜間戦闘航空団錬成中隊)であった。これは、戦闘航空団が独自の練成中隊を保有し始めたのとほぼ同時期となる。その後の12月には、Erg.Sta./ N.J.G.1 が、続いて翌41年には Erg.Sta./ N.J.G.3 が編成された。
これに続く大きな変化は、1./ J.Gr.88 の最後の中隊長としてスペインでの撃墜戦果も持つジーベルト レーンツ(Siebelt Reents)大尉が大隊長を務める Erg.Gr./ Z.G.26 が41年10月に Erg.Gr./ N.J.G.1 と名称変更した事である。これにより、それまでの Erg.Sta./ N.J.G.1 はこの指揮下に置かれ 1.(Erg.)/ N.J.G.1 となった。夜間戦闘航空団での錬成大隊は、N.J.G.1 にのみ編成され N.J.G.2 や N.J.G.3 の錬成中隊は大隊へと増強されなかったようである。
42年11月1日に、この大隊は III./ N.J.S.1(第1夜間戦闘学校第 III 大隊)と改称されて学校組織へと変化し、Erg.Sta./ N.J.G.3 も12月になって廃止された。一方で、Erg.Sta./ N.J.G.2 は航空団の使用機が Ju88 という事もあった為か、43年10月まで活動を続けた。この中隊の廃止は、10月15日に行なわれた空軍訓練部隊再編の影響を受けたものと考えられる。
ヴィルデ ザオ戦術を用いた J.G.300 内で活動したフリードリヒ=カール ミュラー(Friedrich-Karl Müller)大尉が 1./ N.J.Gr.10 へ異動し、中隊長としてレーダー搭載単発夜間戦闘機の有効性を報告した事に伴って、44年3月9日付で単発機の為の錬成夜間戦闘中隊(Ergänzungs-Nachtjagdstaffel)がハインリヒ シュピッツァー(Heinrich Spitzer)大尉の下、II./ J.G.302 が駐留するルートヴィヒスルスト(Ludwigslust)で編成された。中隊は 1./ N.J.Gr.10 へ配属される人員の養育を担っており、7月21日に同中隊は大隊(Ergänzungs-Nachtjagdgruppe)へと拡充されて二個錬成中隊編制とし、より多くの要員育成が可能となった。これにより、単発夜間戦闘大隊である I./ N.J.G.11 の編成は44年8月に行える事となった。
最終的に Erg.-N.J.Gr. は44年11月に I./ E.J.G.2 となったが、これは錬成部隊を統合させ、実戦部隊へ能率よく練度の高い航空兵を送る為に取られた措置であろう。しかし、訓練時間、燃料等の問題から、これらは狙い通りの効果を得る事が出来なかった。更に45年1月の 9./ N.J.G.11 編成に際して、中隊飛行要員の大多数がこの錬成大隊の訓練課程修了生であった。このような状況から考えると、当時の I./ E.J.G.2 の訓練兵の数はかなり減少していたと思われる。
Text: © 2003-2005, Fuß