Ergänzungszerstörerverbände

1930年代に各国で支持を受けていた重戦闘機思想はドイツ空軍内でもゲーリングを始め賛同する者が多かったが、重戦闘機を装備とする駆逐機部隊の動きは戦闘機部隊とは対照的である。

J.F.S.(Jagdfliegerschule:戦闘航空兵学校)からの卒業生の訓練の為に39年9月15日に最初の、そしてポーランド戦に於ける駆逐機部隊の成功から11月には更に第二の Erg.-Zerst.Sta.(Ergänzungs-Zerstörerstaffel:錬成駆逐中隊)が設立された。この第二の中隊は翌年初頭に、新編された Z.S.1(Zerstörerschule 1 :第1駆逐学校)に吸収される形で廃止となり同年夏から Erg.-Zerst.Sta.1 では J.F.S. に代わって、この Z.S.1 の卒業生を受け入れる様になった。
また、40年4月1日付で新たに Erg.-Z.Gr.(Ergänzungs-Zerstörergruppe:錬成駆逐大隊)がマクデブルク・オスト(Magdeburg-Ost)で編成され、補充体制の整った前線の駆逐機部隊は6月からのイギリス航空戦に臨んだ。しかし鈍重な機体の為、損失が予想をはるかに上回り、爆撃機直衛の駆逐機に対してまでも戦闘機部隊が護衛しなければならない事態が発生した事によって次第に駆逐機部隊の規模は縮小される事となり、これらの人員や装備は新たに編成された夜間戦闘機部隊に転用された。
41年3月、Erg.-Zerst.Sta.1 は Z.G.26 の錬成中隊となり、Z.G.76 にも錬成中隊が設立され、両中隊は41年春、昼間戦闘隊の場合と同様に大隊へ昇格した。
しかし、駆逐機部隊はその大きな損失率故に尚の縮小が図られ、三個の錬成駆逐大隊は41年秋、夜間戦闘機部隊に編入という措置が執られた。これにより錬成駆逐部隊は編制上、姿を消す結果となった。

部隊の新名称:

旧部隊名 新部隊名
Erg.-Z.Gr.(大隊本部及び三個訓練中隊) II./ N.J.G.3(第2中隊は、6./ N.J.S.1)
Erg.Gr./ Z.G.26(大隊本部、一個実戦中隊及び二個訓練中隊) Erg.Gr./ N.J.G.1
Erg.Gr./ Z.G.76(大隊本部、一個実戦中隊及び一個訓練中隊) III./ N.J.S.1(第1実戦中隊は、4./ N.J.G.3)

Z.G.26 及び 76 の錬成中隊が大隊規模に拡大されたのにほぼ時を同じくする41年4月に、重戦闘機を装備とし錬成中隊を持つ新たな航空団、S.K.G.210 が設立されていた。これは、重戦闘機の航続距離の長さが東部戦線で有効打となった事から、駆逐機は長距離戦闘爆撃機としての活路を見出された事による。同航空団は42年1月4日を以って航空団全体の名称を Z.G.1 と変更し、その錬成中隊も Erg.Sta./ Z.G.1 と改称された。
これを契機として、4月には駆逐機錬成部隊の充実化が図られた。先ずは3個訓練中隊からなる Erg.-Z.Gr. が再編成され、Erg.Sta./ Z.G.1 はその第1中隊となった。Z.G.2 内にも錬成中隊が設立された。尤も、Erg.Sta./ Z.G.2 は航空団自体が規模縮小の方向にあったため、7月に解散している。
43年3月、大隊は Erg.-Sch.Gr.(Ergänzungs-Schlachtgruppe:錬成襲撃大隊)に姿を変え、同隊内では第3中隊のみが重戦闘機を扱った。 9月1日、3./ Erg.-Sch.Gr. は 1./ Erg.-Z.Gr. となり、三回目となる Erg.-Z.Gr. が編成された。これらはアメリカ陸軍航空隊(USAAF)の帝国本土空襲に駆逐機部隊を充てる事に対する措置であった。前線の駆逐機には重武装化が図られ当初は戦果を挙げていたが、敵護衛戦闘機の出現により、またしても駆逐機部隊の損失は大きくなっていった。これにより、自然と錬成部隊も規模縮小を余儀なくされ、Erg.-Z.Gr. は44年4月6日に中隊ごとに分散、各駆逐航空団の錬成中隊として傘下に入り活動を続けたものの44年夏、全ての中隊は昼間戦闘機部隊に編入される結果に終わった。

Erg.-Z.Gr.のその後:

部隊名 その後の動き
Stab/ Erg.-Z.Gr. 4月6日に廃止
1./ Erg.-Z.Gr. 4月6日に廃止
2./ Erg.-Z.Gr. 4月6日に Erg.Sta./ Z.G.26 と改称、44年9月1日に 2./ J.Gr.Nord へ改編
3./ Erg.-Z.Gr. 4月6日に Erg.Sta./ Z.G.1 と改称、44年8月19日に 12./ J.G.4 へ改編
4./ Erg.-Z.Gr. 4月6日に Erg.Sta./ Z.G.76 と改称、44年9月1日に 1./ J.Gr.Ost へ改編

錬成部隊の動きを見ても分かるように先ずは爆撃機護衛機、次いで戦闘爆撃機、そして最後に重武装邀撃機と駆逐機は役目を変えていったが、結局いずれの場合もその足の遅さが問題となった。駆逐隊は結局、その存在を確立する事が出来ぬまま、機体は夜間戦闘隊で、つまりは駆逐機としてよりも夜間戦闘機として成功を収めた。これは、戦前の重戦闘機思想を打ち砕く結果をもたらした。

Text: © 2002-2005, Fuß


トップページ