Eisernes Kreuz

I. - 制定

鉄十字勲章(Eisernes Kreuz)は武功を称える為の勲章であり、プロイセン王フリードリヒ ヴィルヘルム三世(Friedrich Wilhelm III)によって1813年に制定された。これは1814年に停止された後、普仏戦争によって1870年再開1871年停止、そして、第一次世界大戦で1914年再開1918年停止とされていた。
第二次世界大戦のものは四度目となるもので、39年9月1日附の "Verordnung über die Erneuerung des Eisernen Kreuzes(鉄十字勲章の再開に関する法令)" - R.G.Bl.1939 I S.1573(1939年帝国官報第 I 部1573頁)- によって再制定(公布は同月2日)されたものである。
この法令は八つの条文からなり、第一条では功二級、功一級、騎士十字、大十字 - 等級の解説は本ページ第 II 章を参照 - の四等級から成るとした。
(註)第一次大戦後に君主制は終止符を打ち、それまでの王国や公国等が「州」となった事によって、領邦毎に制定されていた「騎士十字」は廃止とされた。これらの「騎士十字」の替わりとなったのが、功一級と大十字の間、以前のプー ル メリト(Pour le Mérite)の位置に新しく制定された騎士十字である。但し、ドイツでは18年に爵位、勲爵士の授与が廃止されていたので、新たに Ritter を名乗る事は出来なかった。
後に鉄十字勲章へは次のような法令改正(Änderungsverordnung)が加えられた。 (註)戦前からの誤訳により「柏葉」とされる Eichenlaub であるが、実際には「カシワ」ではなく「ナラ」の種である。但し、当サイトでは慣例に従い「楢葉」ではなく「柏葉」を用いた。

39年制定による当勲章の綬は第三帝国旗の使用色に因んで外側より黒白赤となっており、佩用式は功二級鉄十字勲章が小綬により左胸もしくはボタン穴、功一級鉄十字勲章が左肋(綬無)、そして騎士十字鉄十字勲章以上は中綬によって喉下に佩用とされた。尚、略綬は功二級鉄十字勲章にのみ存在する。

Hptm. Johann Schmid EK 着用例
RK 授与式直後の撮影であろうか? Bf108 から降りて歓待を受ける 8./ J.G.26 中隊長ヨハン シュミット(Johann Schmid)大尉。襟元に RK、左肋に EK I、ボタン穴に EK II の綬と最も一般的な着用法をとっている。
EK I の左下に見えるのは、Flugzeug-führerabzeichen。左胸上部で花束に隠れて写るは上から Frontflug-Spange と略綬。写っている三個の略綬の内、中央は Dienstauszeichnung IV.Klasse(四等服務表彰)であるが残る二個は確認できない。

II. - 等級

当勲章は四等級で下位のものより段階的に賜与(第二条)されていたが、三度の改正によって最終的には八等級となった。以下に高位からの等級順で記載する。

Großkreuz des Eisernen Kreuzes :
大十字鉄十字勲章(Großkreuz:大十字勲章)。
39年以降では、ヘルマン ゲーリング(Hermann Göring)元帥 - 賜与と同時に帝国元帥に進級 - のみ。最初の改正が加えられた直後の40年7月19日に授与されたが、アドルフ ヒトラー(Adolf Hitler)の意思によって柏葉騎士十字勲章ではなく当勲章が与えられた。当然にして、剣騎士十字勲章から金色騎士十字勲章は制定以前であるので賜与を受けていない。1813年以来の当章の総受章者数は18名。

Goldenes Eichenlaub mit Schwertern und Brillanten zum Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes :
宝剣付金色柏葉騎士十字鉄十字勲章(Gold.:金色騎士十字勲章)。
ハンス=ウルリッヒ ルーデル(Hans-Ulrich Rudel)中佐 - 賜与と同時に大佐に進級 - に与えられたのみ。

Eichenlaub mit Schwertern und Brillanten zum Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes :
宝剣付柏葉騎士十字鉄十字勲章(Br.:宝騎士十字勲章)。
受章者は陸軍11名、海軍2名、空軍12名、武装親衛隊2名の総計27名であり、全て士官であった。

Eichenlaub mit Schwertern zum Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes :
剣付柏葉騎士十字鉄十字勲章(S.:剣騎士十字勲章)。
受章者は陸軍士官76名、海軍士官5名、空軍士官53名、空軍下士官1名、武装親衛隊士官24名の計159名と日本海軍将官1名。

Eichenlaub zum Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes :
柏葉騎士十字鉄十字勲章(EL.:柏葉騎士十字勲章)。
受章者はドイツ軍人882名、ルーマニア陸軍将官3名、スペイン義勇部隊将官1名、日本海軍将官2名、フィンランド軍将官1名、ベルギー人義勇部隊将校1名。一般的に柏葉騎士十字勲章以上の授与式では、ヒトラーから直接賜与され、空軍将兵の場合は授与後にゲーリングの謁見を受ける慣わしがあった。

Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes :
騎士十字鉄十字勲章(RK:騎士十字勲章)。
総受章者数は7,000名強。

Eisernes Kreuz I. Klasse :
功一級鉄十字勲章(EK I)。

Eisernes Kreuz II. Klasse :
功二級鉄十字勲章(EK II)。

III. - 戦闘機諸隊に於ける受章者

戦闘航空兵に対する各勲章の叙勲には撃墜数が目安として使用された。よって、一定数値の戦果を挙げれば授与推薦がなされる。
昼間戦闘隊操縦者に対する40年秋の授与基準は、功二級鉄十字勲章=1機、功一級鉄十字勲章=7機、騎士十字勲章=20機、柏葉騎士十字勲章=40機であり、41年6月時点での剣騎士十字勲章賜与対象は70機であった。しかし、バルバロッサ作戦の発動により東部に展開した部隊が多数の戦果を挙げた結果、戦線によって授与対象値を変化させる必要性が発生した。加えて戦闘の熾烈化で全ての戦線にて個人の撃墜数が増加するに及ぶと、各戦線で授与基準となる撃墜数が上昇していった。極めて高く引き上げられたのは43年以降の東部戦線であり、騎士十字勲章の推薦を受けるのも75機撃墜の戦績が必要となった。
また、R.A.F. や U.S.A.A.F. による戦略爆撃によって帝国防空は深刻な問題となっていたので、43年秋より敵爆撃機を編隊から落伍させる損傷を負わせた事を示す HSS(編隊外除却撃破)と被 HSS 機の撃墜を表わす e.V.(有効化殲滅)の二つが制定され、これらの攻撃を大きく評価する得点制度が導入された。それぞれの得点については下表の通りである。但し、撃墜数と得点は同義ではなく、本土での四発重爆一機撃墜はあくまでも一機撃墜であり三機撃墜とは数えられない。この得点は叙勲に対する評価点と言えるものである。44年に於ける帝国防衛での騎士十字勲章授与対象の基準は40点獲得であった。

撃墜機種 撃墜 HSS e.V.
戦闘機、偵察機 1点 0点 0点
双発爆撃機 2点 1点 0.5点
四発爆撃機 3点 2点 1点

宝騎士十字勲章の授与基準は、多くの場合 「区切り」となる撃墜に初めて到達した者へ与えられた。つまり、初の100機撃墜に対してメルダース(Mölders)へ、150機でのゴロプ(Gollob)、200機でのグラーフ(Graf)、250機でのノヴォトニー(Nowotny)、300機でハルトマン(Hartmann)、初の100機夜間撃墜によるレント(Lent)といった具合であった。

次のグラフは空軍の受章者の内で戦闘航空兵の占める割合を示したものであり、数値は人数である。


「その他」とされているのは、部隊長や參謀職にある将官や佐官、佐官以下となる最前線の爆撃、偵察、降下、地上の各部隊将兵が挙げられる。ここで注目されたいのは、戦闘航空兵の割合が均一ではなく高位の勲章になる程、その占有率が高くなっている点である。

当サイトでは騎士十字鉄十字勲章以上の受章者を紹介する。 受章者一覧に関してはドイツ語で表示した。これはサイト閲覧者が当サイト外の資料との比較で混乱をきたすのを防ぐ為である。

一覧各欄の語句説明 -

Dienstgrad, Name:
授与の決定時点での階級と姓名。Prinz は親王。von は貴族家系出身者であり、Graf は伯爵位、Baron 及び Freiherr は男爵位の有爵者。また、Dr.chem は化学博士、Dr.med.dent. は歯科医学博士の博士号取得者。* の附随した人名は連邦公文書館に授与の証明書類が存在しない事を示す。

Truppenteil:
授与対象となった戦果を挙げた時点での所属部隊と役職。

Verleihungstag:
授与日(日附は授与の推薦日や授与式の開催日ではなく、授与の決定した日である事に注意)。黒は戦死、戦闘中行方不明後の追叙。日附の表示は日月年の順。右欄は宝騎士十字勲章、剣騎士十字勲章、柏葉騎士十字勲章の授与番号。

註1: 3./ Erpro.Gr.210(第210実験大隊第3中隊)や戦闘航空団附属の Jabostaffel(戦闘爆撃中隊)での功による受章者を含む。
註2: Erpro.Gr.210(第210実験大隊)やその後身部隊である S.K.G.210(第210高速爆撃航空団)での功による受章者を含む。
註3: Wilde Sau 戦術の当時の J.G.300 での功による受章者を含む。

Text: © 2002-2012, Fuß


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